東京高等裁判所 昭和44年(行ケ)56号 判決
一 原告主張の請求原因事実のうち、特許庁における手続の経緯、審決理由の要点については、当事者間に争いがない。
二 原告は、本件発明の特許請求の範囲には、その冒頭部分に「与えられた一群のサーミスタ中のすべて又は大部分の個々の」の文言が存する旨主張し、この文言が本件特許公報に記載されていないのは、出願人たる原告の口頭による削除の申述の結果によるが、このような口頭による削除の申述によつては削除の効力を生じるものではないという。しかし、この文言の記載の有無にかかわらず、本件発明がサーミスタ抵抗装置の合成抵抗値が三温度点において他の一群のサーミスタ抵抗装置のそれと同一であることをその構成要件とするものと解すべきことは、後記三項において述べるとおりである。したがつて、原告が主張する前記冒頭部分の口頭による削除が無効かどうか、本件特許請求の範囲の冒頭に原告主張のごとき文言が存するかどうかについて判断を加える必要はない。
三 そこで、原告の主張する審決の取消事由について検討する。
(一) 取消事由(二)について原告は、本件発明がサーミスタ抵抗装置の互換性の実現を課題とし、三個の合成抵抗値の定数性を要件とする旨主張する。
成立に争いのない甲第二号証によれば、本件発明の特許請求の範囲には、サーミスタの三温度点To、Tn、Tm(ただし、To<Tn<Tm)に於ける各抵抗とそれぞれに対応する合成抵抗との間に第一、第二関係式が満足されるように「各合成抵抗値が選定せられていることにより該サーミスタ特性に若干の偏差ある場合にも一定の合成特性が保たれている」との記載がある事実を認めることができるとともに、発明の詳細な説明中にも「このような場合もしサーミスタの特性の偏差を何等かの方法で補償して、その合成特性をすべてのサーミスタに共通な一定のものとなしえたならば、サーミスタプローブには互換性が与えられるから前述のようなサーミスタ応用装置の通有欠点が解除されるのみならず、サーミスタプローブのスペヤ保持を可能とし、又正確にして簡便な多点測定をも可能とするもので、その効果は極めて大きい。本発明はこの目的を達するため(中略)合成抵抗特性をサーミスタの三温度点To、Tn、Tmにおいて、サーミスタ特性の偏差に拘らず夫々異なる一定値を保つようにするものである。」(公報一ページ左欄一七行より三〇行まで)、「本発明は以上詳細に説明したとおり相当の偏差をもつ与えられたサーミスタ群のすべて又は大部分に対して前掲条件式が満足されるように合成特性を選定することを根底とするものでこれにより初めて所望の互換性精度をもつサーミスタ合成抵抗装置を工業的に提供し得るものである。これを要するに本発明は与えられた一群のサーミスタ中のすべて又は大部分の個々のサーミスタ1とこれに縦続された抵抗回路網2とよりなり(中略)各合成抵抗値が選定せられていることにより、該サーミスタ特性に若干の偏差ある場合にも該偏差に対応する該回路網2の適当な構成により所定の合成特性が保たれているサーミスタ抵抗装置に係り、その目的とするところは従来のサーミスタに通有な重大欠点たりし非互換性を完全に解消し」(公報四ページ右欄三一行より末行まで)と記載されていることが認められる。
これらの記載によれば、本件発明が原告主張のごとく互換性あるサーミスタ抵抗装置を得ることを課題とし、三個の合成抵抗値の定数性すなわち、サーミスタ抵抗装置の合成抵抗値が三温度点において他の一群のサーミスタ抵抗装置のそれと同一であることを構成要件としていることは明らかである。被告は、特許請求の範囲における前記記載が単に他の要件を具備したことによる結果を記載したもので独自の構成要件を記載したものではない旨主張する。なるほど、本件発明においてはサーミスタ抵抗装置において三個の合成抵抗値の定数性を得ることがその効果であるとみられることは、前記本件発明の特許公報の記載より明らかなところであるが、このことが特許請求の範囲に記載されていることによつて発明の構成を機能的に限定したものと解するのが相当である。したがつて、このような限定を無視し、本件発明の前記記載をもつて、単なる作用効果の記載にすぎず発明の構成要件に属するものではないということはできない。ところで、本件発明にいうサーミスタ抵抗装置は、一群のサーミスタ抵抗装置のうちのいずれをとつても互換性あるものをいうのであるから、一群のうちの個々のものを対象とすると解すべきことは当然である。そして、このように一群のうちの個々のものを対象とした場合でも、発明の対象はあくまでもその個々のものであり、その個々のものの性質、機能が他の一群のものとの比較において共通の合成抵抗値をもつものであるよう限定されるにすぎない。したがつて、本件発明が複数のサーミスタを一単位として対象としていると解するのは当らない。
(二) 次に、原告は本件発明と引用例とではその技術内容が相違する旨主張する。
本件発明が互換性あるサーミスタ抵抗装置を得ることをその課題とすることは、前記認定のとおりである。そして、この課題を解決するために、本件発明はサーミスタの三温度点における各抵抗値とそれぞれに対応する各合成抵抗値との間に第一、第二関係式が満足されるように各合成抵抗値を選定することを技術内容とするものであることは、前記甲第二号証(本件特許公報)の記載に照らして明らかである。それでは、引用例にはどのような技術内容が記載されているか。成立に争いのない甲第三号証の記載をみれば、引用例には、サーミスタはその特性曲線を所望の形に変形するため受動整形回路と組合わせて使用する必要があること、所望の合成特性を得るためにサーミスタに附加すべき整形回路の固定抵抗値R1、R2、R3を選定する方法が記載されている。そして、その方法とは、まず合成抵抗値R(T)とサーミスタの抵抗値r(T)の関係R(T)―r(T)の特性曲線は上に凸(<省略>=1)なる直角双曲線であること、そこで、所望の合成特性を得るためにサーミスタに附加すべき抵抗値を選定する方法は、このような特性曲線に近似し少くとも三点を通る直角双曲線を幾何学的性質に基づき作図し、定数a、b、c(ただし、a=R1R2+R1R3+R2R3、b=R1R31、c=R1+R2)を決定し、ついでa、b、cとR1、R2、R3の関係を規定する連立方程式を解くことにより、R1、R2、R3を決定する方法であるとする。
そこで、これらの記載内容に基づき本件発明と引用例の技術内容を比較対照してみると、本件発明はサーミスタ抵抗装置に関し一群のサーミスタ抵抗装置に共通な合成抵抗値の選定を内容とするものであるに対し、引用例はサーミスタに関し所望の合成特性を得るために附加すべき固定抵抗値の選定を内容とするものであり、またその選定の方法も、本件発明においては第一、第二関係式の満足を計るという方法であるのに対して、引用例においては専ら幾何学的作図の方法によるものであつて、これらを比較すれば、両者はその技術内容において相違があり、同一のものではないと認めるのが相当である。
被告は、サーミスタに抵抗回路網を縦続してなるサーミスタ抵抗装置においては常に第一、第二関係式が満足される旨主張し、原告もこの事実は認めるところである。したがつて、引用例においてもサーミスタに幾何学的作図などの方法によつて選定された抵抗値をもつ抵抗回路網を縦続した場合、サーミスタの抵抗値と合成抵抗値との間に第一、第二関係式が成立することは当然である。その限度においては、本件発明と引用例のものとは実質的にひとしい部分があるといえないことはない。しかし、前記認定のとおり、引用例には、一群のサーミスタ抵抗装置に共通な合成抵抗値の選定という技術思想は見られないのであるから、そのかぎりにおいて本件発明とその技術内容を異にするものといわざるを得ない。この点に関し、審決は引用例において一個一個のサーミスタについて整形(補償)が可能であれば、その結果として一群のサーミスタについてもそれが可能なことは明らかである旨説示する。しかし、それは論理上可能であるというだけであつて、技術内容として引用例にそのようなことが記載されていると認めることはできない。また、個々のサーミスタについて一個一個個々的に引用例に記載された方法で整形可能の有無を検討し、その結果整形可能なものだけを集めて一群とするということは産業上役立ちうる手段方法であるとは考えられないから、引用例の記載から一個一個のサーミスタについて整形可能なものを選定し、それらを集めて一群とするという思想が示唆されていると認めることもできない。なお、成立に争いのない乙第一号証(吉田梅次郎作成の鑑定書)には、本件特許は引用例により無効とされるべきものである旨記載されている。しかし、その理由とするところは、本件発明の第一、第二関係式はサーミスタに抵抗回路網を接続したときに当然成立つ関係式であつて各抵抗素子が正である条件以外の何物でもないからというにすぎない。しかしながら、それだけの理由によつては、引用例記載の技術内容が本件発明のそれと同一もしくはそれを示唆するものといえないことは前に説示するとおりであるから、前記乙第一号証によつても、当裁判所の前記判断をくつがえすことはできない。
(三) ところで、前記甲第二号証によれば、本件特許公報には、本件発明の出願当時サーミスタを %以内の偏差に抑えて安価に量産を行うことは不可能であつた旨(公報一ページ左欄七行から九行まで)、ある合成特性を示すサーミスタ抵抗装置に対しわずか一%以内において異なる特性の他のサーミスタに対して同一の合成特性を得べく補償抵抗の選定にいかに努力しても遂に従労に終る旨(公報四ページ左欄下から八行から右欄一行まで)、本件発明の出願当時互換性あるサーミスタ抵抗装置は実現されていなかつた旨(公報一ページ左欄下から五行から右欄一行まで)記載されていることが認められる。これらの記載よりすれば、本件発明の出願前においてはサーミスタ抵抗装置の合成抵抗値が三温度点において他の一群のサーミスタ抵抗装置のそれと同一であるようなサーミスタ抵抗装置を得ることが極めて困難とされていたものと認められる。そして、引用例には前記認定のとおり一個一個のサーミスタについて整形可能なものを選定し、それらをまとめて一群とするという思想も示唆されていないのであるから、引用例の記載から本件発明が容易に想到できるものと解することもできない。
(四) してみれば、審決は原告主張のごとく本件発明の課題を誤認し、引用例記載の技術内容の認定を誤り、ひいては本件発明と引用例との比較対照を誤つた違法がある。
四 よつて、審決の取消を求める原告の本訴請求を正当として認容する。